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計算

計算

計算(けいさん)とは、与えられた情報をもとに、命題に従って演繹することである。

これは人間が無意識のレベルで行っている判断(→判断力)や、動物一般が行っている思考を、計算という形で意識化する手法ともいえ、その意味では「ものを考えること」一般が「計算」の一種だとみなすことも可能である。計算に使用される手続きはアルゴリズムと呼ばれる。対人関係において、戦略をアルゴリズムとして状況を有利に運ぶことも時に「計算」と表現される。
もっとも一般的かつ義務教育の範疇で最初に習うものは、算術(算数)における四則演算を、演算記号に示されたアルゴリズム通りに処理するものである。こういった「計算」は日常生活から専門的分野まで幅広く行われており、これを専門に処理する装置や機械も、人類の歴史において数多く開発され利用されている。

ポイント

ポイント

ポイントは、出版において使用される長さの単位である。

文字のサイズや余白の幅などの、版面の構成要素の長さを表す場合に使われる。“pt” と略記されることが多く、「ポ」と略記されることもある(例:「11ポ」)。後述するように、歴史的にポイントの定義は数種類あるが、現在は DTP アプリケーションにおいて広く使用されている DTP ポイントが一般的である。これは1pt =1/72in. (=25.4/72mm =0.3527777…mm) とされ、1981年にゼロックス社が発売した世界初のビットマップディスプレイを実装した製品である Xerox Star(ゼロックス・スター)で採用され、以後 DTP アプリケーション等において標準となった。版面のレイアウトの単位をポイントにしておくと、文字が占める量を計算しやすいというメリットがある。なお日本の活字は号数制が基本であるが、歴史上ではポイント活字も使われた時期があった。そのときは、1pt ≒0.3514mm が用いられた。
ポイントは複数の地域や時代に種々のシステムが成立したため、定義も一様でない。最も古いポイント・システムはフルニエ・ポイント (Fournier’s point) とされ、次にディドー・ポイント (Didot’s point) が1783年ごろ成立する。これら二つのシステムはフランスで誕生し、大陸で広く使われた。フルニエ・ポイントは、フルニエ (Pierre-Simon Fournier) により提案されたものである。シセロ (Cicro) 格の12分の1を基準として、ポイントを定義したのである。ディドー (Franois-Ambroise Didot) はこのフルニエのシステムを改善し、「王のインチ」(Pied de roi) と呼ばれるフランスのインチ格に、1 pt を1/72インチとして適合させた。フルニエ・ポイントにおいては、1pt ≒0.34882mm で、ディドー・ポイントでは 1pt ≒0.3759mm に相当する。
欧州大陸では主にディドーのポイント・システムが使用されていたが、英米では定まったポイント・システムは普及しなかった。アメリカで活字のサイズが統一されるのは、1886年に MS&J (Mackellar, Smiths and Jordan, Letter Founder) のジョンソン・パイカ (Johnson pica) を共通的に使用することが確認されてからである。これをアメリカン・ポイント (American point, American printers’ point) という。ジョンソン・パイカは 83picas =35cm とするもので、1pt =1/12picas ≒0.3514mm である。ジョンソン・パイカが 83picas =35cm とし、それが結局アメリカン・ポイントとして選択されたのは、サイズ体系を維持することで、活字の改鋳を極力避けるためであった。多くの有力な活字鋳造業者がジョンソン・パイカを使用していたため、アメリカン・ポイントを 1in. =6picas、1picas =12pt にしようと運動したホークスの提案は退けられたのである。アメリカン・ポイントは築地活版によって1900年代後半に紹介され、日本でも普及した。
金属活字のポイントには、アメリカン・ポイントと、ヨーロッパで使用されるディドー・ポイント、フルニエ・ポイントがある。アメリカン・ポイント(パイカ・ポイント)は約 0.3514mm で、日本の出版場面ではこちらが主に使われていた。
ちなみに現在 PC で使用されている Microsoft Word などのアプリケーションでは、一般的に DTP ポイント (1pt =1/72in. =0.3527777…mm) を採用している。DTP ポイントはアメリカン・ポイントとの近似性を持たせるために、1/72in. を採用したと考えられる。
なお上述の通り、アメリカン・ポイントは DTP ポイントと異なる。このため、小さなポイント数ならばともかく紙面全体となってくるとかなりのズレが生じることになる。ゆえにポイント基準で製作された過去の書籍を組み直す際には、当時の組版指示書をそのまま使えないことがある。
一方、TeXではこの問題を、より微細なスケールド・ポイント (scaled point, sp) を 1sp =1/2pt (=1/65,536pt) と定義して導入し、これを用いて複数のポイントを定義しなおすことによって解決している。TeXにおいてはポイントを 1pt =65,536sp =1/72.27in. (=25.4/72.27mm =0.35145980…mm) と定義してあり(TeXポイントと呼ばれる)、一方でビッグ・ポイント (big point, bp) を 1bp =65,781sp [=65,781×25.4/(2×72.27)mm =0.35277370…mm] と定義している。アメリカン・ポイントにTeXポイントを、DTP ポイントにビッグ・ポイントを対応させることで、アメリカン・ポイントと DTP ポイントとを(アメリカン・ポイントに対して 0.0170% 程度の誤差のもとで)併用することができる。
日本においてポイントと同様な場面で使われる単位に「級」(Q) というものがある (1Q =0.25mm)。級数制はメートル法をもとにしており、紙の寸法を含めて計算の利便性が良いという利点もあるが、ワープロソフトの普及などもあり、ポイントのほうがより一般ユーザーレベルで広く使われていると言える。日本語対応している DTP ソフトは級数を扱えるものがほとんどだが、“Q” で入力すると自動的に “pt” に換算して表示するという形でのみ対応しているものもある。ちなみに日本語用の TeX(pTeX) でも Q や H(歯)で文字の寸法などを指定することができる(「級」や「歯」については写真植字機の項目を参照のこと)。
また、和文用のワードプロセッサやワープロソフトで多くの場合10.5ポイントが標準である。これは活字の大きさの単位が号数であった時代、5号というサイズが公文書の本文用活字に用いられ、それが約10.5ポイントに相当することから、号数制からポイント制の移行時にもひきつづきその字の大きさが用いられていたためであった。本文の文字サイズとして可読性が良いなどの理由から、現在でも広く用いられている。なお公文書において5号活字と同様によく使われた4号活字のサイズは13.125ポイント(10.5 / 8 ポイントの10倍)に相当する。
あまり知られていないことであるが、かつて1960年代まで活版印刷によって月刊雑誌や小冊子などが発行されていた時代、8ポイントや9ポイントというサイズの活字が本文用に使われていた。5号では大きすぎ、6号では小さすぎたため、その中間のサイズで読みやすいポイント活字が使われたのである。主に9ポイントが本文、8ポイントがコラムやニュースなど補助的な記事に使われていた。すなわち雑誌編集の世界では「活字のポイント」から「写真植字の級」へ移行し、再び「DTP のポイント」という単位に戻ってきたのである。
(参考:小学館 日本百科大事典 1962年 「写真植字」山岡勤七)

丸井

丸井

株式会社丸井(まるい、OIOI・0101、)は、日本で首都圏を中心にファッションビルなどの商業施設を展開する企業の一つである。

2007年(平成19年)10月1日、(旧)株式会社丸井が「株式会社丸井グループ」に商号変更し、「小売事業」、「カード事業」、「小売関連サービス事業」からなる持株会社制へ移行。その際に、新たな小売事業会社(新)「株式会社丸井」が設立された。
日本チェーンストア協会会員であり、新宿、渋谷といった都心部の鉄道駅至近を中心に店舗を展開している。
家具の割賦販売をルーツに持ち、戦後は月賦百貨店として「500円で5,000円のお買い物!」の宣伝文句の下、家具や家電といった耐久消費財の割賦販売により事業を拡大。1960年(昭和35年)1月に日本で初めて「クレジット」という名称を使用した「クレジット・カード」を発行した。1981年(昭和56年)2月に「丸井のキャッシング」という名称を使用した「消費者金融事業」を開始した。
1972年頃より若年層をターゲットにしたアパレル・ファッション中心の小売業態に転換し、DCブランドブームからはファッションビル形態の店舗を展開。このため店舗によっては、競合関係にあるパルコと類似した売場となっている。いわゆる百貨店に似た店舗運営であるが、日本百貨店協会会員でないことや、デパートの代表的な売場であるデパ地下と呼ばれるような食品売場を展開していない店舗が多いこと、自らも明確に百貨店という表現を用いていないことなどから、百貨店ではないとの見方をされることも多い。
しかし、日経流通新聞は「日本の百貨店調査」の中で注目企業として記事を組んだこともあるほか、「一つの事業者が複数の分野にわたる多種類の商品を一つの店舗で扱う大規模な小売店舗で、セルフサービス方式の売り場が50%以下のもの」に適合し経済産業省の商業統計調査における百貨店の定義に当てはまる(パルコなどの他のファッションビルも当てはまる)。
しかし、会社概要では小売事業としており、百貨店事業とする他の百貨店とは異なる。Yahoo! JAPANでは、デパートではなくファッションビルとしてカテゴリ分けされていた。小売事業ではファッションを軸に、家具・雑貨・メガネ・宝石など、多くの商品を自前主義で展開してきた。小売事業には、食品やレストラン、通信販売、Eコマース事業も含まれる。若者をターゲットにした事業展開を行ってきたことから、首都圏では大きな若年層シェアを獲得している。
ファッションのイメージが強い丸井であるが、経営上は同等、あるいはそれ以上に金融業を重視している。元々月賦百貨店のため割賦販売のノウハウを蓄積し、小売と金融を一体とした事業を長く行っている。店舗においては自社カードによる分割払いを勧め、単に衣服を売る利益でなく、分割手数料を得ることができ、さらにカード会員によるキャッシングなどの融資事業からも収益をあげている。これにより流行や気候に左右されるアパレル販売だけでなく、カード・金融事業から安定した利益を稼ぎ出すことに成功している。現在は「エポスカード」としてグループのカード事業は持ち株会社への移行に伴い、株式会社丸井とは分けられている。
かつてはテレビコマーシャル「駅のソバの丸井」「赤いカードの丸井」のキャッチコピーのもと、駅前一等地に次々と出店することでブランド認知度を高め、かつてのDCブランドブームに乗って若年層を取り込んだ。店舗形態は、丸井、マルイシティ、マルイファミリーなどがある(後述)。
本社は創業地である東京都中野区中野。中野駅北口の本社ビル、南口にグループ各社、マルイグループユニオン、マルイグループ福祉会、丸井健保組合などがある。
社名の由来は1931年、富山県出身の創業者・青井忠治が月賦商の「丸二商会」から暖簾分けして新しい店を構え、店名を「丸井」としたものだという。当時は「丸」に自分の名前や姓を加えると繁盛するというジンクスがあった。
なお、北海道にある百貨店の丸井今井との関係はない。
店舗展開としては長らく関東圏に限ってきたが、近年では関東圏を脱し全国展開を視野に入れている。
丸井には、駅前出店を基本とした多店舗化戦略を取っているイメージがあるが、その一方で新規大型店の開店に伴う小規模店舗の統合など、積極的なスクラップ・アンド・ビルド戦略を展開している。ただし、新店舗の開設を伴わない単純な不採算店舗の閉鎖も数多く行なわれている。また、業態変更によって実質「丸井」としての機能を廃した店舗(吉祥寺店キャンバス館→無印良品館→ドン・キホーテ、マルイビィ町田→町田モディ)なども存在する。
また米国の百貨店チェーンの様にプライベートブランド開発、SPA化、自社編集売り場などに力を入れ、旧来型の日本の百貨店からの脱却を図っているほか、また従来の画一的な展開から、「商圏に適したきめ細かい展開」に切り替えている。
「商圏に適したきめ細かい展開」は店舗デザインにも及ぶ。現在多くの店舗の外観は「OIOI」マークを使用している。これは古くからある店舗に現在も残る、丸の右下が切れた形の「CICI」マークのブラッシュアップと言える(「CICI」マークの店舗においても、店内掲示物などには「OIOI」マークを使用するケースも目立ってきている)。また、関東・静岡地区で1990年代に開業・改築した店舗の一部には「MARUI」マークが用いられているところもある。これは当時、エリアごとの店舗展開を模索し始めており、その際のイメージのひとつが形になったものである。なおその後、「MARUI」マークを採用した店舗もリニューアルなどを機に「OIOI」マークへ変更するケースもあり、ブランドの再統一へ方向転換した模様である。
既存店舗とは別の道を模索する動きも見られ、その一環として2007年(平成19年)5月に宅配大手のヤマトホールディングスと資本・業務提携を結び、在庫の調達管理から新たな通販ビジネス開拓への方針展開を目指す方針であると発表された。
一方、2007年(平成15年)貸金業法改正や、2009年(平成17年)リーマンショックの影響によるグループの業績悪化を受けて、小売事業の方針を順次転換した。具体的には、顧客ターゲットを若年層から全世代に拡大し、ファッション等の商品に代表されるモノ消費中心の売場展開を減少させ、飲食等の体験に代表されるコト消費をターゲットにした売場展開の割合を増加させること等である。2014年(平成22年)頃からは、消化仕入方式による百貨店型の店舗運営を順次減少させ、テナントからの安定的な家賃収入による不動産型のSC・定借化へ切り替えを進めており、2019年3月までに対象区画の100%を不動産型とする予定である。同じくSC・定借化運営であるモディの多店化も併せて、売上より利益重視へ収益構造の転換を進めている。
新宿マルイは2018年現在、以下の形態で店舗展開を行っている。いずれも正式名称には「新宿マルイ」が付されており、2009年(平成21年)に「新宿21.1世紀」のコンセプトを掲げた大幅な店舗再編によって、現在の形態となっている。
なお、かつては上記3店舗のほかに、同じく2009年に以下の2店舗もオープンまたはリニューアルオープンしたが、その後閉店している。
丸井の本店は中野であったが、2007年(平成19年)に一時閉店。その後、2011年(平成23年)1月に再開店して本社も中野にあるが、店舗の売場面積上、現在の事実上の旗艦店は新宿3丁目(伊勢丹前)の新宿通り沿いに2009年(平成21年)にできた「新宿マルイ本館」である。新宿には丸井が入居するビルが6棟存在し、積極的にスクラップ・アンド・ビルドを行うため、これまでたびたび店舗(出店形態)の移動があった。
2009年(平成21年)は「新宿21.1世紀。」のコンセプトを掲げ、全店舗改装・リニューアルを行い、新たに「新宿マルイ」の総称が入れられた。まず2月20日にマルイシティ-2を「新宿マルイワン」へ、2月27日にマルイヤングを「新宿マルイカレン」へ、それぞれ一新した。また前述の通り4月24日には新宿マルイの新たな旗艦店舗になる「新宿マルイ本館」がオープンした。その他の既存店舗も順次改装を行っており、インザルーム新宿本店は4月24日にリニューアルが完了し、またマルイシティ-1・マルイメンが初夏から秋にかけて、それぞれ「新宿マルイアネックス」「新宿マルイメン」にリニューアルされた。ただし店舗名称はマルイ本館オープンと同日にいち早く変更された。なお、フィールドはマルイメン8階に移転したほか、女性向けランニング用品ショップをマルイ本館5階に、さらに9月からはアウトドア用品ショップをマルイアネックス7階に展開する。またマルイカレンは新宿3-17の路地にも別館がある。新宿ピカデリーの南側にある伊勢丹駐車場の裏だが、”OIOI”の看板とドアノブが見えるのですぐに見つかる。
「新宿マルイ」に刷新後も店舗再編が行われており、インザルーム新宿本店は2010年(平成22年)2月28日に、新宿マルイカレンは2012年(平成24年)3月25日に、それぞれ閉店している。なお、マルイカレンは閉店後も引き続き丸井が「丸井新宿東口ビル」としてビル管理を続けていたが、2016年9月末約130億円で売却した。2012年6月よりいくつかのテナントが入居しているが、2018年現在も営業を継続している。また2013年(平成25年)秋にも再編が行われ、マルイワンがマルイアネックスと統合する形で閉店した(マルイワンで営業していたテナントの多くがマルイアネックスに移転した)。これにより、アネックスにもレディース用品売場が新設されたほか、本館にメンズ用品売場も新設されている。
既存の商業施設にテナント出店している店舗については後述「自社ブランド」の項を参照。
戦前、東京都内に数店舗、クレジット専用センター(現在の“ゼロファースト”店舗とは別組織)として八重洲、新橋、赤羽など数店舗があった。
静岡地区の店舗は昭和40年代にすべて開店しており、丸井の店舗の中でも古参であった。1990年代に入り一気に店舗の淘汰が行われたが、そのうち浜松店及び清水店の閉鎖は静岡店に経営資源を集中(前述のスクラップ・アンド・ビルド戦略の一環)するためであったとも言われている。
かつては同業の緑屋(現・クレディセゾン)との「出店競争」があり、関東圏から東北方面へ店舗網の拡大を目論んでいた時期があった。その際「東北進出の足がかり」として、郡山店を開店させた。
また緑屋が当時進出していなかった東海道方面(静岡県)へは、緑屋進出前に先手を打つという考えから沼津、清水、静岡、浜松の順で4店舗を時期をおいて開店させたという経緯があったといわれている。そのうち静岡店においては、「商業活動調整協議会」の力がたいへん強かったことから、店舗面積にも大変厳しい注文がつけられた。結果として極めて狭小な店舗での出店を余儀なくされ、隣接する清水店(当時の清水市ではここまで過激な反応はなく、むしろ出店を大歓迎されたとも言われている)を増床し、静岡店で扱えない商品を清水店や後に開店する浜松店(こちらも静岡店と違いかなり余裕のある床面積であったといわれている)にて展開していたという。
しかし、東海道線エリアでは戸塚・藤沢・小田原といった神奈川県内の店舗を含んで、浜松、清水、沼津は既になく、東北エリア唯一の店舗であった郡山店も閉鎖するなど、かつての店舗拡大も大きく軌道修正が図られている。
このほか、首都圏都市部以外の出店として、熊谷、前橋といった高崎線エリアや、宇都宮などの栃木エリアにも進出の実績があるが、すべて閉鎖されている。
現在では本拠の首都圏において、南関東のターミナルを中心とした店舗展開を行い、同時に首都圏を脱し京阪神へ進出、また一時期は関連事業を名古屋においても展開するなど、西日本での店舗展開も進めるという「2つの流れ」を見て取れる。
丸井が展開している自社プライベートブランド及びショップは下記の通りである。
など。
最近では自社ブランドを丸井だけではなく、子会社が運営しているモディやグループ外のららぽーとなどのショッピングセンターにおいてテナントとして出店しているケース、及び単独店舗での出店が多く見られる。
テナントにおいても出店や業態変更、あるいは撤退を頻繁に行っており、特に仙台フォーラスに展開していたテナント5店舗は2009年8月までに全て撤退している。
自社ブランドを特別価格で提供する「マルイアウトレットストア」も各地で展開している。
閉店したアウトレットストア
丸井を語る上で欠かせないのが、クレジットカード「赤いカード」の存在である。
丸井はもともと月賦百貨店(割賦販売による月賦払いを中心とする小売店)であった。1960年(昭和35年)に日本で初めて「クレジット」という名称を用い、アメリカから機器を輸入し「クレジット・カード」「クレジット・プレート」の発行を開始した。これは今日のクレジットカードと同一のものではなく、上顧客への月賦払いの完済証明書のようなもので、完済すると発行され、次回の買い物時に回収された。したがってこのクレジットカードは、「クレジットカード」の名称は使用しているが、機能的にはクレジットカードではなかった。このカード、プレートは、販路拡大にも貢献した。ちなみに同じ1960年末に日本ダイナースクラブが設立され、1961年からJCBとほぼ同時期に本格的なクレジットカードを発行を開始している。
当時は口座自動振替のシステムもなく、返済方法は店頭で直接支払うか集金員に直接支払うシステムのみであった。この集金=「回収」作業において、支払い延滞者への督促行為が時に闇金融まがいの強引な手法となることがあった。当然、現在であれば大きな問題となりうるものであるが、当時はまだ「返せないならむしり取るのが当たり前」という解釈の下そういった行為が許されていた時代でもあった。振込みによる返済が一般的になった現在でも、百貨店のクレジットカード同様に、店頭のカードカウンターへ出向いての返済が可能である。
長らく丸井グループと丸井店舗周辺の加盟店のみ扱えるハウスカードの立場を固持してきたが、1990年代初頭にDCカード及びJCBと提携・一体化した「エムワンカード」(M1カード)を発行する。世界中のVISAまたはJCB加盟店で利用できるようになったが、その分リスクが大きくなることから入会審査が厳しくなり、また支払回数の制限などもあり、あまり発行されずに終息した。
1994年(平成6年)にハウスカードの名称を「マルイカード」に変更したが、2000年(平成12年)に元の「赤いカード」に戻した。
2001年(平成13年)にクレディセゾンとの提携によって、赤いカードとセゾンカードを合体した『赤いカード《セゾン》』を発行開始した。このカードはスイッチカードという提携カードの一種で、利用加盟店が赤いカードの加盟店か、セゾン及び付加国際ブランド(VISA・Master・JCB)の加盟店かによって、請求が丸井からの分とセゾンからの分に分かれて来るものであり、さらに支払方法や請求サイクルも全く別であるなど、悪い意味で「一枚二役」のカードであった。
2004年(平成16年)10月にはカード事業を分社化し連結子会社の株式会社マルイカードを設立し、VISAのスペシャルライセンシーを取得。2006年(平成18年)3月に長年に渡って親しまれた「赤いカード」に代わり、社内公募によって決定された「エポスカード」(EPOS CARD) を新ブランド名として採用。ハウスカードから脱し、VISA付帯で汎用性を高めたICクレジットカードへと衣替えした。同時に社名も株式会社エポスカードへ変更されている。
1981年に赤いカードでキャッシングサービスが開始。現在ほとんどの「赤いカード」・「エポスカード」で融資枠が設定されており(未成年者はショッピング専用カードとして発行)、グレーゾーン金利上限に迫る高利のキャッシング利息収益で長い間本業の(分社化した現在は連結)収益の一大部分を占めている。
丸井のカードは店舗従業員のノルマ達成のため、無職者や学生、低所得者層でも店頭で容易に発行されてキャッシングに使えることから、借り逃げなどの貸倒件数・金額によってはその年の業績にマイナス影響を与えるものとなり、「小売店の顔をした消費者金融」と呼ばれることもしばしばある。実際に、グレーゾーン金利撤廃以前のクレジット・消費者ローン事業の営業利益額は物販事業の営業利益額を大きく上回っていた。また、カード勧誘のための「丸井のカードはお持ちですか?」のフレーズは丸井店舗での買い物精算時のいわばお決まりの儀式となっており、その勧誘行為のエスカレートがカード嫌いの層等から丸井での買い物を遠ざける一因ともなっていた。
しかし最近では、提携カード化にともなう発行基準・与信の厳格化により以前のような無秩序なカード発行はなく、また、丸井内部での評価制度の見直しなどから、こうした行き過ぎ感のある勧誘などもほとんど姿を消した。
2003年に、管理職以外のプロパー社員ほぼ全員を丸井子会社に転籍させ賃金改定する大胆なリストラを実行。丸井の各ショップで働く従業員は、丸井に属さず取扱商品やサービスに応じた販売子会社から「派遣」(労働法上の人材派遣ではない:後述)される形態をしばらくとっていたが、現在は、一部の子会社でのプロパー採用社員を除き、持ち株会社「丸井グループ」に再び人員と雇用を集約したうえで、旧販売子会社を祖とする後述の社内カンパニーでの勤務(店舗での商品販売など)をする形となっている。
在籍社員の95%(5,100名:当時)を子会社に転籍させ、消費者ニーズに応え専門性を高め、経営資源の選択と集中を図るという大英断は、実施当時、株主や経済界からは一定の評価を得、同時に人件費の高騰と売上減少に悩む小売業界関係者から大いにその成否が注目された。しかし、その一方で、この改革を前後に発生した出向と転籍を繰り返す雇用形態の変更、それに伴う人事制度・給与体系等の度重なる見直しによる混乱、及び、完全成果型報酬体系がもたらす極端な年収のアップダウンにより生活設計がたてにくくなったことなどを理由に、旧来の丸井時代から会社を担っていた正規従業員らのモチベーション低下と多数の優秀な人材の外部流出を招いたといわれる。
また、当時の運営形態は各販売子会社と丸井本体との「業務委託契約」によるアウトソーシングの形であったが、実体として販社社員に対し丸井本体の管理職(店長・副店長など)が直接指揮命令を行っており、これが、いわゆる偽装請負にあたっていた可能性がある。もっとも、これは派遣法の理解不足や見解の相違がもたらした結果であり、製造業等で多発していたような最初から故意に違反行為を承知で実施した施策ではなかった。また、実際に勤務していた販社社員にはこういったビジネスモデル的な説明は転籍に際して事前にほとんどされておらず、それまでの勤務形態と比較してなんら変化を感じるものではなかったため大きな問題にはならなかった。なお、事務代行を主なサービス領域とするマルイスマートサポートなど一部の子会社を除き、丸井本体及び販売系子会社は一般・特定を問わず労働者派遣事業の許認可取得・届出はしていない。
その意味では、今回の雇用形態の再転換は事業再編による組織力の強化という目的の他に、こういった諸問題の解消という狙いが含まれていると推測される。一部の革新系政党や労働団体まで巻き込んで議論がなされた一連の転籍騒動については、現在まで、当時の関係者も含め失敗であったと認める発言等は公式の場では見られない。一説には、この施策に不満を持ち早期退職していった人材数が会社側が当初想定していたものより遥かに多かったという現実に当時の青井忠雄社長が激怒し、施策の推進に大きく関与した関係役員を更迭したといわれるが、その因果関係は定かではない。
しかし、“失われた5年間”に浪費した貴重な時間・資金、そして何より従業員のモラールダウンにともなう販売力の低下という大きな損失を招いてしまったことは否めない。同業他社を含めた大手小売業でこの改革に追随した企業はなかった。
株式会社「丸井」及び持株会社「丸井グループ」内における、社内カンパニーと関係は以下のとおり。小売事業の他、グループの他の2事業についても触れる。
小売事業
カード事業
小売関連サービス事業
1991年(平成3年)に消費者金融専業会社「ゼロファースト」を設立し、都市部の駅近くや繁華街のビル1階もしくは平屋建てに店舗を構え、ゼロファースト・丸井のカードのほかにクレジットカード・信販会社・消費者金融・郵便貯金カードが扱えるATM(店舗によっては24時間稼働)を複数台設置するなど独自に事業を行うが、丸井のカードによるキャッシング・入金(弁済)も行う点から、丸井店舗が撤退した地域にゼロファーストを出店する傾向があった。
なお、社名の【ZERO-FIRST】からも分かるように、丸井の0101が由来とされている。また、同社は消費者金融事業の他に、以前は当時の中野本店内に入居していたボウリング場(マルイボウル)の管理運営も行っていた。その後、エポスカードの子会社となった。
2006年(平成18年)11月に、丸井がゼロファーストの事業を大幅に縮小すると発表した。これは「貸金業法の改正による逆風やグレーゾーン金利の撤廃により貸付上限金利が引き下げられると、有人店舗の採算がとれなくなる」との判断によるものあった。同社は2014年(平成16年)10月1日にエポスカードに吸収合併され、2015年9月末で新規顧客の受け付けを停止、さらに関東(静岡含む)に74あった消費者ローン店舗を段階的に閉鎖(有人店舗46店を順次無人化し、最終的に無人店舗をすべて閉鎖)していった。2018年現在は、エポスATM及びセブン銀行ATMにて返済を受け付けている。
2007年(平成19年)12月に海外向け通販サイト、MARUIONE.JPが立ち上げられ、日本語、英語、フランス語の3か国語で運営されていた(2018年現在は閉鎖)。「クールジャパン」のコンセプトを基に、ロリータ、ゴシックを含む日本のストリートファッション、漫画・アニメグッズに加え、伝統工芸品なども取り扱っていた。また、同時に立ち上げられた姉妹サイトLiveJでは日本についての情報を提供していた。
丸井はテレビを宣伝媒体として積極的に利用してきた。昭和40年代前後には在京キー局すべてで夜の「スポーツニュース」(当時は5分程度の短いものだった)に番組提供を行い、知名度向上に努めた。日本テレビの『スポーツニュース』(関東のみ、地方によって違うスポンサーが提供)や、『キャッチアップ』(後述)打ち切り後新たに編成された『スポーツホットライン』(TBS)への番組提供がその名残である。
知名度向上とイメージ重視の戦略から、1990年代前半までは在京局や関東独立局のミニ番組に各社延べ102本 提供(すべて一社提供)していたほか、丸井が進出していた静岡・福島地区でも地元局のミニ番組(ニュースや天気予報など)に提供するケースがあった。
当初提供していた番組には30代以降をターゲットとしたものが多く、中高年の夫妻を紹介する『ひとりよりふたり』『われら夫婦』(日本テレビ)をはじめとして、『あの日あの時』『ヨーロッパ発あなたへ』(フジテレビ)、『スポニチ芸能ニュース』→『世界あの店この店』(テレビ朝日)、『各駅停車世界の旅』(テレビ東京)などがあったが、1980年代中頃に入ってからは20代を主軸に置いた番組(下記参照)へシフトしていくようになり、番組内での丸井とのタイアップ(連動企画)も多くなっていった(これらの番組の大半はスポニチテレビニュース社(当時)が制作を担当することが多かったことから、スポーツニッポンのテレビ欄での番組紹介が昭和50年代前半では多かった)。
若年層を主対象においた主なミニ番組としては、トレンド情報番組『キャッチアップ』(TBS)、当時流行の洋楽ビデオクリップを紹介する『丸井サウンドロフト』(フジテレビ)、ニューヨークのトレンドを紹介する『ニューヨーク情報』(後にスポンサー降板)その他の提供番組は、アメリカのニュース専門CATV局・CNNの最新ニュースを10分弱のダイジェストにまとめて紹介する『CNNヘッドライン』(共にテレビ朝日)、丸井の旅行部門とタイアップした海外旅行のガイド的番組『Zip’s』(テレビ東京)、そして最新の洋楽ヒットに乗せ世界のスポーツ映像を見せる「SPOPS」(テレビ神奈川)など。他にもフジテレビでは『丸井サウンドロフト』の後番組として、大学サークルの紹介番組『ライフサイズTV コンパス』、東京の街そのものをゲームの舞台とした『チキチキバンバン』、有名人が好きなものを10個選ぶ『パーソナル・カウントダウンTen』、東京で暮らす若者の部屋にスポットを当てた『ROOMS』など、意欲的かつ評判を呼んだ番組も制作されていた。
一般的な認知度が関東地区を越えて、全国規模になるのは1979年(昭和54年)にテレビCMで「好きだから、あげる。」が爆発的な反響を呼んだことで、当時春の商戦では高島屋や三越といった老舗百貨店にならぶ売り上げを記録した。ちなみに「好きだから…」のコピーを書いたのは、「コピーライターの神様」と称される仲畑貴志である。
丸井のCM展開は1990年代前半までは「番組提供」が主であり、その中で丸井オリジナルブランドやインテリア、そして季節商品の単独イメージCMや「赤いカード」の告知など、さまざまなジャンルのCMを効果的に組み合わせていた。また関東エリアのヤング館共通CMや池袋スポーツ館(のちの「フィールド」)、新宿インテリア館(のちの「イン・ザ・ルーム」)単独CMなども頻繁に流された。さらに4店体制が長く続いた静岡地区でも「静岡限定」として「静岡4店イメージCM」が作られたことがある。これは放送期間は短かったものの、TBS系の静岡放送では『静岡新聞ニュース』での番組提供時に頻繁に放送されていた。
新店の開店や既存店の新装開店などでは、それぞれの店舗立地のイメージに近い告知CMが多く作られた。例えば「京成百貨店」から経営譲渡を受け新規開店した上野店(マルイシティ上野を経て現・上野マルイ)では、近接する浅草の「三社祭」をイメージしたもの、浜松店(既に閉鎖)新装開店時には浜松まつりの「凧揚げ」をイメージしたもの、藤沢店(既に閉鎖)開店時には湘南をイメージしたものなど、凝ったCMが数多く作られた。
「丸井試写会」(後述)についての告知CMも提供番組内で流されていたが、丸井店舗があり、番組をネットで受けていた静岡・福島地区では丸井の別のCMに差し替えられていた。これは、招待券の配布店舗が東京周辺の南関東に限られていたことによる。
しかしバブル崩壊をきっかけに様々な事情が絡み、1990年代半ば、レギュラー番組への提供からはすべて撤退した。一部には「番組提供として出している費用が、本来の番組制作にあまり使われていない」という事実を知り、比較的費用が安く上がるスポットCMへほぼ全面的に移行したことが、番組提供撤退の理由ではないかとの推測もされている。その後、単発番組へ散発的な番組提供へ移行し、現在はスポットCMを放送するのみにとどまっている。その後は一時のようなセール告知だけを行う地味なCMばかりでなく、有名タレントを起用したり、シーズン特性や流行に応じたファッション性の高いCMも再び制作されるようになってきている。
東海地区ではインザルーム名古屋の単独CMが、同店が開店してしばらくの間だけ制作・放送されていた。関連事業であり丸井本体の進出ではなかったことから、OIOIロゴは一切表示されていなかった。
なお丸井のCMはラジオも含めほぼすべてが「エイムクリエイツ」(旧・丸井広告事業社)によって現在まで制作されている。
池袋スポーツ館(のちの「フィールド」)のCMソングは、大瀧詠一が制作し、歌唱もしている。この曲は当時、スポーツ館内でも常時BGMとして流されており、レコードやCDでは店内で流されていたものと同じくフルコーラスバージョンで収録されている。尚、大滝が笛吹銅次としてミックスしたオリジナルバージョンと吉田保のリミックスバージョンの二種類がある。
坂本龍一が初めて手掛けたCM曲は丸井のメガネである。
2012年(平成24年)からは通販サイト「マルイウェブチャネル」の宣伝を丸井未出店エリアを含む全国で展開するようになった。当初は新聞広告や、電車の車内広告が中心だったが、2013年(平成25年)よりテレビCMも製作・放映されている。
2018年には以前からコラボをしていたテレビ東京のアニメ「銀魂」のスポンサーについている。
かつてはクリスマス3大(恋愛至上主義の観点から3悪という皮肉もある)媒体の1社(あとはJR東海(クリスマスエクスプレス、POPEYE)と呼ばれた時代があり、87~91年のdip in the pool、92~94年のサザンオールスターズのCMも取り上げられたこともあった。
ラジオでの広告展開もFMを中心に行っており、関東地区での民放FM多局化以降、FMヨコハマ「MARUI 24CLUB」を始め、数局で番組提供を持った。
また、昭和50年代半ばに 文化放送にて「パンプキンパンプキン」(パーソナリティー:加藤タキ)という女性向け15分の深夜番組を提供していた。初期は試写会のお知らせ以外のCMなし。後期はプレゼントコーナーで尾崎亜美の「FOR YOU」(「好きだから あげる」キャンペーンソング)のBGMを使用しプレゼント商品を告知することにより実質CMにしていた。
宣伝活動のひとつとしての「丸井試写会」(会場:中野サンプラザ)も定期的に行われていた(試写会の告知CMについては前述)。チケットは都内主要店舗で配布されていたが、晩年は余程の話題作でもない限り話題になることは少なかった。しかし、会場のお膝元である当時の中野本店では、スパークリングセールなどの催事以上に、試写会チケット争奪のために長い列ができるといった現象が起きるほど人気を博していた。創業地でもあり地元に密着した中野本店ならではの光景であり、いったん閉店した同店を住民の声に応じて再開店させるという施策にもつながっている。
かつては社内に野球部を持ち、プロ入り前の大杉勝男などが所属していた。
1980年代、サーフィンの大会スポンサーに積極的に進出。千葉県・九十九里海岸で毎年開催されていた丸井プロサーフィン世界選手権は、多年度に渡って冠スポンサーを務め、「丸井プロ」の通称で非常に有名であった。また、他に開かれていたウィンドサーフィン大会にも後援や冠スポンサーとしてかかわることが多かった。
ちなみに、この時期には日本たばこ産業が後援するサムタイムワールドカップが静岡県・御前崎で開かれており、サーフィン愛好者からは(広義の関東エリア内での大規模サーフィンイベントとして)「西のサムタイム、東の丸井」などと持てはやされていた。
丸井店内では1980年代まで、テレビでの宣伝活動と平行して月刊のフリーペーパーも配布していた。内容は、取り扱いブランドや商品の情報、着こなしの提案と丸井自体のお知らせなど。また当時店舗網の拡大を進めていた時期でもあり、新店情報や一部タウン情報的なものも掲載されていた。このフリーペーパーは1990年代に入り、通販カタログ(Voi・Men’s Voi)やカード明細への添付パンフレットに形を変えていくこととなる。
1980年代に活動していたコントグループ、コント赤信号の持ちネタとして、服装を一流ブランドで固めたリーダーの渡辺正行に「それだけ揃えるの高かったろう?」とメンバーの小宮孝泰が訊くと、「赤いカード」を出して「丸井よ!」(=全て月賦)と答えるギャグがあり、月賦の丸井の名を高めることとなった。
2013年、日本郵便がJR九州と手を組み博多郵便局と近隣地域を一体で再開発することを決定したが、その再開発ビルのひとつである「KITTE博多」に丸井が核テナントとして入ることとなり、九州への進出を果たすこととなった。この決定以降、福岡県内の民放テレビ5社でもテレビCMを放送するようになったが、店舗開業までまだ時間を要することから、当初は将来の顧客確保という観点も含めて、内容はハウスクレジットカードの「エポスカード」とネット通販のみとなっている。
2014年に入り、開店に向けた準備室を博多区の奈良屋町に設けた。またエポスカードがハウステンボスと提携し、「ハウステンボスエポスカード」を発行、これに先立ち2013年の段階から長崎地区でもエポスカードのCM放送を始めた。店舗名は、2015年7月23日に、コミュニティサイトで一番意見が多かった「博多マルイ」とすることに決定した。
なお、博多出店時の報道で、九州内ではほかに熊本市や北九州市への出店を検討していることを明らかにしている。

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